2011年11月24日木曜日

「羽越水害(8.28水害)」

混声三部合唱組曲「阿賀野川」は、昭和42年に発生した羽越水害(8.28水害)をテーマとしたエレジーであり、その犠牲者にささげるレクイエムである。
この水害を忘れてはならないと、初演から20年もの間歌い継がれてきた。
では、当時の被害はどのようなものだったのだろうか――。


羽越水害(8.28水害)は、1967年(昭和42年)の8月29日、まだ夜が明けない時間帯に、2日前から降り続いていた集中豪雨が原因で起こった大災害である。
羽越という名称が付けられたとおり、主に山形県と新潟県下越地方を中心に被害が発生。
死者104名を出す大きな被害をもたらした。
旧三川村でも400mmを超す強烈な大豪雨だったと言われている。
8月27日から降り続いていた豪雨は、28日の午後になってもまったく降り止まず、未曾有の集中豪雨となった。
そのために、綱木川をはじめとする7つの中小河川の水位が異常な増水となり、全ての河川で破堤また溢水をみたほか、山間地では土砂崩れ、山崩れ、鉄砲水などにより多くの被害が発生したのである。


《 当時の写真:細越地区 》


《 現在の五十沢地区 新谷川 》


被害は、村内全域にわたる大規模なものであり、死者、行方不明者合わせて18名、重軽傷者26名、家屋の流失、全壊52棟、半壊30棟、床上浸水267棟、農地の流失117haに及んだ。
被害の大半はまだ夜の明けぬ頃であり、消防団と住民の必死の警戒、避難誘導もかなわず、尊い生命や財産を奪われたことは誠に残念ではあったが、再起の意欲を持ち、長い間村民一丸となって村の復興に努めた。
(初演プログラムより一部引用)


《 当時の写真:石戸地区 》


《 当時の写真:古岐地区 》


《 当時の写真:石間地区 作業の様子 》



石間地区には「上の沢川」と「下の沢川」と呼ばれる2つの沢川がある。
集落の裏山から阿賀野川へと合流する普段は穏やかな小川だが、この日は違った。
予期せぬ事態が、住民の命運を分けることとなる…。


28日の夜、2日間降り続いていた雨は少し弱まってきた。
大雨になったら決壊するかもしれないと言われていた「上の沢川」の様子も、もう大丈夫そうだということで、石間地区の人々はほっとして眠りについたという。
しかし翌29日、早朝まだ暗い中のことである。
石間地区の人々がまったく心配していなかった「下の沢川」が大きく決壊した。
まだ眠っている人々を土石流が襲い、逃げることもできないまま巻き込まれてしまった。


《 当時の写真:石間地区 》


《 当時の写真:石間地区 》


《 当時の写真:石間地区 》


石間地区は、三川村の中でも犠牲者が最も多い地区である。
地区を流れている川が大きく決壊してしまったこともあるが、何よりも決壊するとは思っていなかった「下の沢川」が決壊してしまったことが大きな要因と思われる。

石間地区の犠牲者(羽越水害で亡くなった方)
大人8名
中学生1名
小学生1名
幼児4名
計14名


《 現在の石間地区 「上の沢川」 》


《 現在の石間地区 「下の沢川」 》