合唱組曲「阿賀野川」の詩の世界観を深く読み解くには、まず作詩者山本和夫という人物を知る必要がある。
1907年(明治40年)福井県遠敷郡松永村(現小浜市)に生まれ、生涯ふるさとを愛した。
そんな山本氏と親交の厚かった若狭の人々に、その人柄や思い出などを伺った。
偉大なる文学者の遺伝子は、確かにその地へ受け継がれていた――。
山本先生は心のままに生きてて、まるで少年のような人
――初めてお会いしたときのことは覚えていますか?
山本先生に初めてお会いしたのは、たぶん主人と…他に何人かいらっしゃったかもしれませんが、萬徳寺(※)へ行ったときですね。
萬徳寺には国の天然記念物に指定されたモミジがあって、その庭園が有名なんですよ。
そこの五色椿のところで、山本先生が“この椿はね…”って説明してくださったのがとても印象に残ってます。
今から…30年くらい前ですかね~。
――山本先生はどんなお人でしたか?
お酒が好きだってのが、ホントに…(笑)。
うちの主人もお酒が好きでしたから。
私の祖母の実家が、むかし造り酒屋をしてたんですね。
そこの養子に来た従伯父が、山本先生と旧制中学で同級生だったんだそうです。
それで、山本先生は小浜に帰って来られると、しょっちゅうその酒屋さんへ来ておられて…。
酔っぱらっていらっしゃったそうです(笑)。
だから従伯母は、“山本さんが来ると長くて…(困)”という感じであまり歓迎していなかったようですが…(笑)。
でも、すごい陽気なお酒っていうか、いつも楽しそうに飲んでらっしゃいましたね。
――お酒が大変好きだったという情報は、他の若狭のみなさんからも異口同音に伺っております(笑)。
私の家にね、山本先生が書かれた直筆の色紙があるんです。
「醒めればわたしは 一人ぼっちの わたしになる」と書かれてます。
これは、合唱組曲「阿賀野川」の第四曲「悲歌」の詩の一部にあるのです。
…どっちだと思います(笑)?
「(お酒を飲んで)酔いよ、醒めるな」なのか、「悲歌」の詩のとおり「夢よ、さめるな」なのか…。
――あぁ!二つの意味に取れますね(笑)。
色紙をいただいた時は、ずーっと「酔いよ、醒めるな」だと思ってましたから(笑)。
“山本先生らしいなぁ”って、思い込んでたんです。
でも去年、資料をまとめてたときに詩を読んで、“あっ、「悲歌」の言葉なのかな”って思ったんですよ。
私も「阿賀野川」を歌ってたんだけど、その時は気付きませんでした。
――(吉井多美子氏)
私には「桃の花咲く 平和な村が 拡がった」という色紙をくださったんですよ。
他に、硝子屋さんの人は、カン、カン、カン…と、半鐘のことが書かれた色紙だった。
“硝子職人さんにはピッタリやなぁ~”って言ってね(笑)。
――なるほど!では、山本先生はみなさんそれぞれに、「阿賀野川」の詩から抜粋して色紙を贈られたんですね。
と言うことは、私のは「夢よ さめるな」の意味ですね。
色紙に「夢よ」と書いてないあたりが、山本先生らしいユーモアなセンスですね(笑)。
きっとお酒の方の意味も含ませたんでしょう。
――山本先生のお酒好きは、みなさんにも受け継がれているようですね。
亡夫も、若狭文学会(※)に入らせてもらってたんですね。
その会合が、小浜にある私たち夫婦の別宅で開かれていたんですよ。
その別宅は、みなさんから「アジト」と呼ばれていました(笑)。
町の真ん中にありまして、普段は使ってない家だったんです。
だから、人が集まってお酒を飲んだりするには使いやすかったんですよね。
手帳に酒宴の日に○を付けていったら、ある年なんかは136回になりました。
主人はそれを自慢そうに話してました(笑)。
――ところで竹中さん、先ほど「阿賀野川」を歌ったとおっしゃっていましたが…。
【阿賀野川】コーラスサミット2004(※)へ行って歌いました。
もともと私も「ママさんコーラス」に入ってはいるんですけど。
なかなかこういうカッチリとした合唱曲は歌わないんです。
このような合唱曲に取り組むのは、初めてだったので大変でした。
でもああいうかたちで練習して、「阿賀野川」が流れる新潟へ皆さんと一緒に行き、1,000人以上の前で歌えたっていうのはすごく良かったなぁと思います。
2007年に、山本和夫先生の「生誕100年記念コンサート」を開催できたのも、このコーラスサミットがあったおかげなんですよね。
若狭からコーラスサミットへ行ったのは、8~10人程だったんですけど。
その人たちが中心となって、小浜で第九を歌ってる人とかにも声をかけました。
そのときだけの「青の村合唱団」を作って、山本先生作詩の「たじま牛」や「親しらず子しらず」などを歌いました。
――このコンサートでは、山本先生が作詩された学校の校歌も歌われたんですよね?
はい、学校の校歌はそれぞれの学校の子供たちが歌いました。
山本先生が校歌を作詩された学校は、県外にも多数あるんですけど。
この時は近隣の学校だけに声をかけまして、15もの小中高等学校が参加したのです。
“出ません”と断ったところは1校もなかったと思います。
――最後に、竹中さんにとって「山本和夫」とはどのような人ですか?
先生は「少年」のようでしたね(笑)。
気持ちは本当に少年のままでした。
心のままに生きていらっしゃって、それはプラス思考から生まれてくるものばかり。
戦争にも行っておられるし、いろんな大変なこともあったと思います。
でもそれらが全然マイナスの方向へ動いてないというか…。
詩なんか読んでみても、どれも純粋な感じがしますね~。
竹中 律子
1947年生まれ
福井県大飯郡おおい町出身
元小学校教師
※萬徳寺
福井県小浜市ある高野山真言宗の寺。
天然記念物の大山モミジを借景とする名勝枯山水庭園で知られている。
※若狭文学会
40年余りにわたって、福井県若狭地方の文学界をけん引。
年1~2回「若狭文学(1970年~2011年終刊)」を発行し、会の精神的支柱である山本和夫氏を様々な形で顕彰してきた。
毎年5月下旬には同会メンバーによって山本和夫忌を行っている。
※【阿賀野川】コーラスサミット2004
2004年(平成16年)8月29日、りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館コンサートホールにて開催。
日本全国から、「川」にちなんだ合唱曲を歌っているコーラスグループ9団体が新潟に集結した。