2012年3月28日水曜日

「LEON インタビュー」

悠々と流れる阿賀野川を煌びやかな倍音で彩るSwallowtail*QueenbeeのギタリストLEON。
合唱組曲「阿賀野川」は彼にとって無縁であったものの、何がそこまで彼を惹きつけたのか…。
瞳の奥には、確かなその「答え」が写っていた――。




いつも音楽に助けられていて、…音楽には敵うものはないですね。


――はじめに、この混声三部合唱組曲「阿賀野川」20周年プロジェクトの話を聞かされた時の事を教えてください。

まず、バンドのミーティングをその日に限って私のアパートでする事になったんです。
普段ならファミレスとかでミーティングするのですが…。
だから“何かあるな”と感じましたね。
そして当日、トオルさんに会ったときにすぐに悟りましたよ、やはり何か企んでいると。
…顔に思いっきり出てましたからね(笑)。
それでミーティングの本題に入ると、トオルさんから“これをバンドでカヴァーしたい”と、初めて合唱組曲「阿賀野川」を聴かされました。
その空間に、いつもだったらロックしか流れないはずのスピーカーから、ピアノの旋律の中に溶け込む中学生たちの合唱が流れてきて。
…もう回答に困りましたね、何かの御冗談だと思いました(笑)。
こんなのどうカヴァーすんだ?とね。


――それは驚いたでしょうね(笑)。

もう驚きましたよ。
合唱曲を聴き終わってから、トオルさんが満面の笑みで“デモは作ってあるよ。あとは好きに弾いていいから!”と言ってきたんです。
意味不明の状況で、とりあえずデモを聴いてみたら…アレンジにびっくりしました!
その時にトオルさんの中で、合唱組曲「阿賀野川」のバンドカヴァーした完成型はこんな感じなんだな、と思って。
まず、故郷や「阿賀野川」に対する想いがそのままデモに表れていましたからね。
その瞬間、不安より、期待の方がはるかに勝りましたね。
だから即答しましたよ、“うん、弾くよ”って。


――意外すぎる展開ですもんねぇ。
それで、LEONさんは合唱組曲「阿賀野川」を聴いていかがでしたか?

初めて聴いた時に感じたのは“本当にこれやるの?”でした(笑)。
さっきも似たようなことを言いましたけど…、よく考えてみてくださいよ。
ロックバンドが今まで合唱曲のカヴァーした事ありますか?
私と同じ立場ならほとんどの方が同じ意見なんじゃないですかね。
“これやるの!?…マジで?”って(笑)。
だから戸惑って最初は曲をまともに聴けなかった(笑)。


――なるほど。バンドマンには普通考えられないですもんね。

でしょ?
それから私は、初演発表会のCDをずっと聴き込みました。
そこから感じた事は、「優しく、強く、荒々しく、そして暖かい」でしたね。
それぞれの曲に場面を持たせてあって、歌われている内容の情景が目の前に広がっていきましたよ。


――音楽って不思議な力がありますもんね!

そうなんですよねぇ。
私はいつも音楽に助けられていて…。
曲を聴いて、感動して、勇気をもらって…。
だから今回、合唱曲を歌っている生徒さんの気持ちの入った歌声には、言葉では表現しきれないくらいに心に突き刺さるものがありましたね。
そう思うと私の中では何に対しても、音楽には敵うものはないですよ。
その反面、これからやろうとしているプロジェクトで自分に課せられた重責に気づいた瞬間でもありましたね。





自分が感じたインスピレーションを大切にしようと思った。
それを伝えなければ意味はない。



――合唱曲をカヴァーしたわけですが、ギターアレンジやこだわりについてお聞きしたいのですが。

基本的にシンプルで聴きやすく、また統一感のあるわかりやすいものにしました。
そして、一番大事にしたのはリズム。
ドラムという指揮者の下、場面場面の情景を大切にしたんです。
また、どの曲でも「自分が原曲から感じた自分らしいフレーズ」を入れました。
そのフレーズが良いかどうかは別として、自分なりに曲を解釈してココってところに魂を込めたんです(笑)。
まずは、自分が感じたインスピレーションを大切にしようと思って。
それを伝えなければ意味はないんだって…。
そういうのって大事じゃありません?
すごく思い入れのある曲になりましたよ!
是非、どのフレーズか探して欲しいですね!


――はい、その「魂のフレーズ」を探させてもらいますね(笑)。
レコーディングを終え、夏にはCD発売の予定ですが、今のお気持ちはいかがですか?


とりあえず皆さんに早く聴いてもらいたい気持ちでいっぱいですね。
新しいチャレンジでしたのでもちろん不安はありますが、皆さんの心に届いてくれたら何よりです!
そしてライブで皆さんと一緒に歌えたら最高ですね!


――それでは、合唱組曲「阿賀野川」の20周年について思うところはありますか?

本当にすごい事だと思いますし、心から敬意を表してますよ。
最初は合唱のカヴァーなんてって思ったんです…。
初めて聴く曲ですし、思い入れのある曲でもありません。
そもそも合唱が好きで音楽を始めたわけでもありませんでしたから。
でも…、今回のプロジェクトを通して合唱組曲「阿賀野川」に接していくうちに、合唱曲が大好きになりました。
まさか自分が合唱曲を好きになるなんて、夢にも思わなかったですけどね。


――何事も、中身を知らずして良さは伝わらないものですよね!

本当にそう思います!
今なんて歌詞見なくても口ずさめますよ(笑)。
私の地元ではこのような曲はありませんから、地元にこんな素晴らしい曲があるなんて本当に羨ましいです。
だから真剣に取り組めましたしね。
でもねぇ…、今だからこそこんな気持ちになれたんだと思います。
歳取ったのかなぁ(笑)。


――それは人生における「経験」なのでは(笑)?

うん、そういうことにしておきましょうか(笑)。


――では、最後に読者の皆さんにメッセージをどうぞ。

今回のプロジェクトでお世話になった方や応援してくださったたくさんの方々に感謝いたします。
また合唱組曲「阿賀野川」を少しでも世の中に広げられたら幸いです。
私自身もこの合唱曲のおかげで家族や友達、ふるさとの大切さを知る事ができました。
いつも音楽に助けられてばかりなんです。
その最高な音楽を、皆さんにも合唱×ROCK「阿賀野川」で是非味わってほしいですね。




LEON
1981年生まれ
新潟県新潟市出身
Swallowtail*Queenbee ギター

2012年3月24日土曜日

「成澤 千春 インタビュー」

阿賀野川ライン舟下り――。
悠々と流れる阿賀野川を、四季折々の表情を映す渓谷美を眺めながら旅をする。
その案内役は、阿賀野川を愛する個性豊かな船頭たちだ。
今回は最年少船長、成澤氏にお話を伺った。



合唱曲をロックで演るなんて、過去にも聴いたことがないので、新しいですね。


――どうして船に乗ろうと思われたのですか?

もともと生物とかが好きで、昔から川で遊んでいたんです。
阿賀野川の上流の方、津川の辺りでしたね。
そして海洋高校に行ったのは、映画「日本沈没(※1)」を見て、潜水艦に憧れたのがきっかけでした。


――海洋高校では、どんなことを学ぶのですか?

いろいろ悩んだんですが、私が専攻したのは「海洋生産コース」です。
主に漁業について学びました。
船の免許もその時取ったんです。
他には養殖などを学ぶ「栽培技術コース」やダイビングをするコースもありました。
ダイビングのコースはとても興味があったんですけど、私「耳抜き」が怖いという理由だけであきらめました…(笑)。


――その後卒業して、阿賀の里に入社したわけですね。
いつもどのようなお仕事をされていますか?

今の時期(取材は2月)、私の船は出せないので案内係がメインです。
受付け場所から、お客さんを乗船場までご案内しています。
今、私の船は船頭衆の休憩場所に使われています。
汚さないように使って欲しいっていう気持ちは、若干ありますね(笑)。


――あの船、成澤さんの船だったんですね~。
さっきどなたかコーヒーこぼしてましたよ(笑)。

あっ!ホントですか!?
それちょっとマズイですねー!(笑)


――現在、船頭の中では最年少ということですが、先輩から何か教わったことなどありますか?

そうですね~。
あんまり親方さん達とは話す機会も少なくて…、情報がないんですけど…。
それに、話してても方言がきついので、聞きづらかったりもします(笑)。
石井(智子)さんも、今ではバリバリの訛りですが、最初はそうじゃなかったと聞いてビックリしました(笑)。
私も早く石井さんくらいになりたいです。



――合唱×ROCK「阿賀野川」プロジェクトはどのように思われますか?

私は合唱組曲「阿賀野川」はまだ聴いたことがなくって、どんな歌なのかわかりませんが。
地域の歌があって、20年も歌われ続けているんですよね。
それを新しいカタチで演奏してCDを発表するというのは、とても良いことだと思いました。
合唱曲をロックで演るなんて、過去にも聴いたことがないので、新しいですね。
ジェロみたいな感じですか?(笑)
黒人なんだけど、演歌という、新しい感じで!
聴く人、見る人の記憶にも残りやすいんじゃないかと思います。


――成澤さんにとって阿賀野川とは?

「遊び場」であり、「学ぶ場」であります。
小さい頃から魚獲ったり、石投げたりと、川で遊ぶことが大好きでした。
当時、ここ「阿賀の里」は通り過ぎるだけでしたしたが、まさか働くことになるなんて(笑)。
今はいろいろ学ばせてもらっています。

(ここでケータイ着信音「川のせせらぎ」が鳴る)

――本当に川が好きなんですね、よくわかりました(一同爆笑)。
ご協力ありがとうございました。



成澤 千春
1992年生まれ
新潟県新潟市秋葉区(旧新津市)出身
新潟県立海洋高等学校平成22年度卒業
阿賀野川ライン舟下り船長として活躍


(※1)「日本沈没」
小松左京の同名ベストセラー小説を映画化した1973年作品『日本沈没』を、『ローレライ』で長編監督デビューを果たした樋口真嗣が現代にリメイクした衝撃作。
SMAPの草なぎ剛と柴咲コウがダブル主演し、未曾有の災害に立ち向かうヒロイックなキャラクターを熱演した。

2012年3月20日火曜日

「阿部 准奈 インタビュー」

合唱組曲「阿賀野川」は、平成3年の初演発表会から三川中学校の生徒らによって、長きに渡り歌い継がれてきた。
それはまさに「先輩から後輩へ」と、20年分の伝統を積み重ねてきた、いわば歴史そのもの、財産である。
ともに学び、ともに歌い、お互いの成長を競い合って中学校生活3年間を過ごした彼らの共通言語は、今でも「阿賀野川」なのだ。
平成3年度から現在に至るまで、卒業生のインタビューをシリーズで掲載する。




――最初に「阿賀野川」との出会いについて教えてください。

確か…、たぶん小学校5年生か6年生くらいの頃だと思うんですけど。
三川中学校体育館での発表会を聴きに行ったことがあって。
近所の先輩が歌っているっていうことで、私のお母さんと、その先輩のお母さんとで行きました。
「阿賀野川」を聴いたのは、その時が初めてですね。
第三曲の「羽越大災害」の迫力がすごくって、その印象が強く残ってます。
ちょっと怖い歌だな、と思いました。


――中学校で歌ってた当時のことなど教えてください。

楽譜を渡された時は、“実際私たちにも歌えるのかなぁ”って不安でした。
授業では各パートに分かれて、カセットテープをとにかく何回も何回も聴いて(笑)、合わせながら歌ったのを覚えてますね。
学年ごとにパートリーダーっていうのがいて、その人の言うことを聞いてやってました。
もう、毎日歌ってましたね(笑)。
当時の音楽の授業は、櫻庭先生っていう先生だったんですけど。
櫻庭先生はこの「阿賀野川」に対してすごい熱血的でした。
ふざけて練習とかしてると、すっごい怒る…(笑)。
男子とかよく注意されてましたね(笑)。
「阿賀野川」への想いを語る、とにかく熱い先生でした~。


――阿部さんは、なんでも高校ではボート部だったとお聞きしましたが。

はい、阿賀黎明高校でボート部でした。
なので、阿賀野川では毎日のようにボートを漕いでました。
この川がなければ私たちは部活もできない、という環境ですよね。
だから私はすごく感謝しています、阿賀野川に。
阿賀野川で練習したから、全国の大会へ行って活躍できたっていうのもあるし。


――えっ!?全国行ったんですか?

はい、全国大会で優勝しました。
阿賀野川って流れがあって、結構水が重たいんですよ。
そこで練習を積んで他の所へ行くと、水が軽く感じるので。
やっぱり阿賀野川で漕いだから、力も付いたんだなと(笑)。
阿賀黎明高校のボート部が強いのは、川に秘密があったのかもしれませんね(笑)。
あと、コーチですね。
元バルセロナ五輪選手の三留弘(みとめひろし)コーチが、毎日モーターボートで追いかけて指導してくれたお陰です。


――阿部さんにとって阿賀野川とはなんでしょう?

「思い出、感動、ありがとう!阿賀野川」ですね(笑)!


――なんですか?そのキャッチコピーみたいのは(笑)?

うちの学校のボート部の、何て言うか…「名台詞」なので(笑)。
阿賀野川に出た瞬間、みんなそれを言って気合いを入れるんですよ。






阿部 准奈
1990年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町(旧三川村)出身
平成17年度三川中学校卒業生
パート:アルト
介護福祉士を目指し、現在勉強中

2012年3月15日木曜日

「第20回 合唱組曲『阿賀野川』を歌いつぐ会 メッセージボードより Part9」

平成23年10月22日、阿賀町文化福祉会館にて「合唱組曲『阿賀野川』を歌いつぐ会」が開かれた。
記念すべき第20回目となる今年のスローガンは、「届けよう 希望の歌 ~20年分の思いとともに~」。
三川中学校の生徒達は、昭和42年三川村に甚大な被害をもたらした羽越水害の悲しみや復興への希望を、今年7月の新潟・福島豪雨と重ね合わせていた。
当日、会場入り口に設置された生徒達直筆によるメッセージボードから、その言葉の一部を紹介する。




今年は二十周年目です。
練習したときよりもうまく歌って、合唱組曲「阿賀野川」を聞きに来てくださったお客様の方々に自分たちの「阿賀野川」を愛する気持ちをお伝えして、絶対に感動していただけるようにがんばります。
(2年生男子生徒)


今年は20周年ということで記念の年です。
3月の東日本大震災をはじめ7月下旬の新潟・福島豪雨などの災害も多くあった年でした。
その中で私たちは身をもって災害のおそろしさを体験しました。
その経験が私たちの歌う合唱組曲「阿賀野川」に生かせていけるよう今まで全員で心を1つにして頑張ってきました。
皆さまに私たちの気持ちが伝わっていきますよう一生懸命歌います。
ぜひ、楽しみにしていてください♪
(3年生女子生徒)


今年は節目の年である第20回目の阿賀野川です。
私たち1人ひとりが心を込めて歌い、20周年目という、記念すべき歌を歌えるということに感謝の気持ちを込めて精一杯歌いたいです。
今日、来てくださった皆様の中に7月新潟県福島県豪雨の被害にあわれた人々も来てくださっていると思います。
その方々1人ひとりに少しでも元気を出していただけるように精一杯歌わせてください。
今日はお越し下さって本当にありがとうございます。
(3年生女子生徒)


今年の阿賀野川を歌いつぐ会は20周年の節目の年です。
ソプラノは高い音を歌うので体全体をつかってきれいな声を出し、20周年にふさわしい歌いつぐ会にしたいです。
今まで練習してきたことをいかし、三川中全員と先生方と混声合唱団のみなさんと最高の合唱にしたいと思います!!
聞きに来てくださったみなさん。
1ヶ月以上がんばって練習してきました。
声の大きさだけでなく、感情表現にも力を入れて、みなさんが感動できるような歌をうたうので、最後まできいてください!!
精一杯頑張ります!!
(2年生女子生徒)


2012年3月11日日曜日

柾木 ゆり子 インタビュー

合唱組曲「阿賀野川」が初演された翌年に三川村混声合唱団(現阿賀野川混声合唱団)は結成された。
母なる阿賀野川のふもと、四季折々に変わるその姿に大自然の偉大さを感じながら、大切に歌い継いできたという。
阿賀野川混声合唱団の柾木団長は、昭和42年に羽越水害を体験している。
さらに昨年の新潟・福島豪雨という災害も乗り越えて、「阿賀野川」をどのような想いで歌うのか。




一歩でもいいから前に進んでいかないと、道は拓けない。


――合唱組曲「阿賀野川」の第一印象を教えてください。

友達から“うちの子が中学校ですごくいい曲を歌ってるんさ”と教えてもらったのがきっかけです。
最初、話を聞いただけではどういう曲なのかわからなくて…。
それで、初演発表会のCDを買って実際に聴いてもみたんだけど、いまいちピンと来なかったのね。
初演の翌年“「阿賀野川」を歌い継いでいこう”と、村に合唱団を作ることになりました。
私も一応入ったんだけど、当時はなかなか練習に行く機会がなくて…、歌もすぐには覚えられなかったのよね。
でもね、息子が中学校3年生の時に、新潟市音楽文化会館での発表会を観に行きました。
そこで第五曲「光にむかって」を初めて生で聴いたの。
男性パートの「暴れまわる阿賀野川…」というところが、ものすごい迫力でね。
そこに女性が「Wo Wo…」と歌うでしょ。
ここのフレーズが強く私の印象に残って、“あ~…、すっごい曲なんだ!”と初めてそこで感じました。


――やっぱり生で歌ってるのは違いますか?

そうね、初演のCDを聴いただけではなかなか伝わって来なかったんですね~、私はね。
男性があそこまで声を力強く出せるっていうのはすごいなと。
とても衝撃的でしたね~。


――合唱団についてお聞きしたいのですが。

平成4年に「三川村混声合唱団」という名前でスタートしたんです。
あの頃は中学生や高校生も一緒に歌ってて、指導してくださるのも中学校の先生で。
なので「合唱団」とは言うものの、存在自体がなんか中途半端というか…異質でしたね。
夜の合唱練習を中学校の先生が指導するとなるといろいろ問題もあるということで、当時の校長先生から“中学校の先生を指導から切り離した方が良いのでは”と提案がありました。
そういった経緯もあって、現在の和久井先生をご紹介していただいたんです。
それが平成10年5月のこと。
この時点で「三川村混声合唱団」から「阿賀野川混声合唱団」に名前を変えたんです。
そして、東蒲原郡に4つの合唱団が揃ったことになりました。
津川の「コーラス木声会」、鹿瀬の「鹿瀬混声合唱団」、上川の「合唱団かじか達」、そして三川の「阿賀野川混声合唱団」。



――思い出や印象に残っていることはありますか?

私が歌い始めたばかりの頃なんですが。
第三曲「羽越大災害」の「昭和42年の8月29日の…」という歌詞のところにくると声が詰まっちゃって、涙が先に出てくるんです。
もうね、何回もそういうことがありました。
最近になってようやくなくなりましたけどね。
また、いつも聴きに来てくれるあるお客さんが、必ず泣く場所があるんです。
それがとっても印象に残ってます。
“言葉では言えないけれども、歌を通してお客さんに届いて欲しい”という気持ちで歌っていますので、泣きながら聴いてる表情を見ると、ちゃんと届いているんだなって実感します。


――思い入れの深い曲はありますか?

その年によって違います。
自分を取り巻く環境の変化や、その年のいろんな出来事によって表現方法が違ったり、思い入れる場所が変わったりします。
昨年は(水害があったので)阿賀野川を恨めしく思ったり…。
でもね、(東日本大震災による)津波で災害に遭ったけど“海を恨んでない”と言う人の気持ちもすごくよくわかる。
阿賀野川は住んでいる人にとって、大事な川なんですよね。
肥沃の大地を作ってくれている川。
私たちは生かされているわけだから、「恨む」というのではなくって、大切に「共存」していかなくてはだめなんです。
自然と人間とが一体となって、うまく寄り添いながら過ごしていかなくてはならないから。


――2011年、特に想いを込めた曲は?

悲しい物語を描いた第三曲「羽越大災害」や第四曲「悲歌」ではなくて、第五曲「光にむかって」です。
何日間かは本当に悲しくってどうにもならないんだけど、やっぱり「生きている」というありがたさを感じました。
実際に被災された方にとっては“そんなの綺麗ごと…”って思われるかもしれませんが。
あれだけの痛手を受けても、笑ってインタビューを受けて“頑張ろう、頑張ろう!”と言う動きもあるでしょ。
やっぱりこれなんだよなぁと思って。
そこだけに踏み止まってはいられないっていう。
一歩でもいいから前に進んでいかないと、道は拓けない。
昨年はすごく感じましたね~。


――これからの合唱団や阿賀町に望むことはありますか?

今、合唱団にいるメンバーは結構高齢になってきてるんです。
だから、できればもうちょっと若い人にも入ってもらわないと、私たち…(笑)ね。
だんだん辞めざるを得ないようになってきて、途切れちゃうと困るので。
引き継ぐ人たちが欲しいですね。
あと、もうちょっと阿賀町の人に感心を持っていただきたいです。
この組曲はテーマが重いので、とっつきにくいんでしょうか。
だから、さっきROCK調にアレンジされた「ふるさとの将軍杉」のデモ音源を聴かせてもらいましたけど。
こういう曲調で聴いてもらえたなら、割と耳にスッと入ってくると思います。
合唱としても「ふるさとの将軍杉」は誰でも口ずさめるようになって欲しいなと思いますね。


――柾木さんにとって、阿賀野川とは何でしょう?

大切な「母なる川」ですよね。
阿賀野川ラインは綺麗で、水が光ってるんですよ。
気温が低くなるとね、水が張りつめたようでピカピカ光ってるのが何とも言えないです。
犬の散歩で堤防を毎日歩いてました。
対岸の山々も春夏秋冬いつも綺麗だし、たまに虹が架かったりすると素敵だしね。
若いころは三川村があんまり好きではなかったけど、“こんなにいいところだったんだ!”と20年くらい前から思うようになりました。
合唱組曲に関しても、携われた一人として昨年ほど“良かったなぁ”と思ったことはなかったです。
私たちにとっては本当に大切な曲だから、これからもひとつひとつの詩に対し真摯に向き合っていきたい。
もう少し上手になったら、大勢の人から関心を持ってもらえるかもしれないし(笑)。


――では最後に、阿賀野川混声合唱団からPRをどうぞ。

平成20年8月31日に阿賀町文化福祉会館で「合唱組曲『阿賀野川』を歌う会」というのをやったんです。
もう2年後くらいを目途に、その第2回目を開きたいと思っています。
現在、一緒に歌ってくださる方を広く募集しています。
練習は毎週していますけど、月に1回か2回でもいいので参加できる方がいらっしゃれば。
初心者の方でも2年後の発表会までには5曲全部歌えるかなと思います。
ぜひ一緒に歌いましょう。

  阿賀野川混声合唱団
  ☆☆ 団員募集 ☆☆
   いっしょに歌いましょう!!どなたでも大歓迎です。

  練習日:毎週金曜日 午後7:30~9:30
  練習場所:阿賀町(旧三川地区)
  連絡先:柾木 0254-99-2467
  事務局:波多野 0254-99-3700




柾木 ゆり子
1948年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町出身
1992年三川村混声合唱団(現阿賀野川混声合唱団)に入団
1998年5月より合唱団の団長を務める
パート:ソプラノ

2012年3月5日月曜日

新潟日報 平成24年3月3日(土)掲載

2012年3月4日日曜日

「第20回 合唱組曲『阿賀野川』を歌いつぐ会 メッセージボードより Part8」

平成23年10月22日、阿賀町文化福祉会館にて「合唱組曲『阿賀野川』を歌いつぐ会」が開かれた。
記念すべき第20回目となる今年のスローガンは、「届けよう 希望の歌 ~20年分の思いとともに~」。
三川中学校の生徒達は、昭和42年三川村に甚大な被害をもたらした羽越水害の悲しみや復興への希望を、今年7月の新潟・福島豪雨と重ね合わせていた。
当日、会場入り口に設置された生徒達直筆によるメッセージボードから、その言葉の一部を紹介する。




「合唱組曲」阿賀野川は、今年で20周年を迎えました。
しかし、今年は3月の東日本大震災、7月の新潟・福島豪雨と、自然災害の多い年でした。
この災害でも、多くの人々が被害を受けました。
私たちは、歌を聴いてくださる方々に、感動していただけるように、全員で精一杯心を込めて歌います。
どうぞ最後までごゆっくりお聴きください。
(3年生男子生徒)


今年は「20周年」という節目の年です。
去年以上の歌声で感情をこめてお客様に感動していただけるように、がんばります。
聴いてくださるお客様へ♪
私は去年、歌詞の意味をあまり知らずに聴いていました。
けれど、今年「阿賀の里」「羽越大災害」「悲歌」を歌ってみて、歌詞の意味を知り、こんなにすごいことがあったんだ、と感心しました。
この事を私たちが歌い、お客様に感動していただけるよう、次の世代で受けつがれていくようにがんばりますので、ぜひ最後までお聴きください。
最高の阿賀野川にします。
(3年生女子生徒)