2011年12月24日土曜日

「本間 茂子 インタビュー」

合唱組曲「阿賀野川」が初演された翌年に三川村混声合唱団(現阿賀野川混声合唱団)は結成された。
母なる阿賀野川のふもと、四季折々に変わるその姿に大自然の偉大さを感じながら、大切に歌い継いできたという。
去る12月4日、阿賀町みかわ会館で行われた演奏会の終了後に、団員からお話を伺うことができた。



音楽の輪が広がっていくのが合唱のいいところですね。


――阿賀野川混声合唱団に入るきっかけは何だったのですか?

「阿賀野川」を初めて聴いた時に、“この曲は私も歌うべきだ!”と思ったんですよね。
それぐらいの気持ちが直感的にありました。
あれは、“娘たちが歌うから聴きに来て”と妹に誘われて、一緒に行ったんですよ。
もうね、滂沱の涙…。
ほんっとに震えるぐらい感動しましたね。
中学生の声って、澄んだいい声でしょ。
それもあってなおさら曲の情景がスーッと入ってきました。
その後で妹が“私たちも合唱団を作ったのよ”と言ってて、それで存在を知りました。
羨ましくってね~。“いいなー、いいなー”って(笑)。
最初は、三川の人じゃないと入れないのかなー、と思ってたんですよ。
でも“いいんて、(住所なんか)どこでも!規約には書いてないんだから”と言ってくれて。
見学に行った初日にはすぐ楽譜を手渡されて、「紺碧の~♪」と歌ってましたね(笑)。
私は、徹くん(ミナガワトオル氏)が歌ってるのも聴いてるのよ。
あれはまだ徹くんが合唱団にいた頃か中学生の頃。
“すっごい楽しそうに歌ってる子がいるなぁ”と思って…。
後で聞いたんですけど、私の同級生の甥だったのねぇ。


――合唱団に入られて、印象に残ってる出来事などありますか?

そうねぇ、印象に残ってると言えば…。
当時指導してくださってた、小林先生の指揮!
なんかみんなを包み込むような…「さぁ、歌うよ、歌うよ」っていう、あの指揮ね。
あれにまたすごい感動して(笑)。
なので転勤される時はとても残念でした。


――楽しい合唱練習が目に浮かんできます。発表演奏での思い出はいかがですか?

2004年にりゅーとぴあで開催された「【阿賀野川】サミット」の時ですね。
この前の年に、私は大病をして…。
手術して生き返った(笑)その翌年だったんですよ!
なので、なおさら「歌える」ってことの幸せをものすごく感じて歌ってました。
病院のベッドで寝てる時、「阿賀野川」初演のCDを持っていったんですよ。
それで、大竹先生(当時の三川中学校長)の声を聴いて、“あぁ~(りゅーとぴあで)大竹先生に会える~”とか(笑)。
中学生の歌声を聴いて、“あぁ、この歌をまたみんなで歌える~”って思って。
ベッドの上ですっごい励まされました。
だから病院ではずっと「阿賀野川」のCDを聴いてましたね。
屋上行って歌ったりもしてましたよ(笑)


《 発表演奏会の様子(12月4日 阿賀町みかわ会館) 》


――羽越水害のことは覚えていらっしゃいますか?

私は高校3年生だったんですよ。
とにかく8月28日から雨がすごくって、明治生まれの祖母が“この雨はただ事じゃない!”と言って。
ご飯を釜にとっつら(たくさん)炊いて、荷物は全部高い所に運びました。
叔母の家が高台にあったので、小さい子はみんなそこへ避難してました。
地鳴りの音が聞こえてくるし、(夜だから)暗くて見えないでしょ。
不気味でした…。
あの時、住人は阿賀野川の本流から水が上がってくると思って警戒してたんですよね。
だから避難するのは低い土地に住んでる人ばかりで、沢沿いや山に近い家の人は何も準備なんかしていなかった。
まさか山から土砂が雪崩のように襲ってくるなんてねぇ…。
こういった恐ろしい水害をテーマにした第三曲の「羽越大災害」なんかは、とても軽い気持ちでは歌えませんね。


――重いテーマですねぇ。
さて、本日(12月4日)の発表会では、合唱組曲「阿賀野川」以外にもたくさんの曲を聴かせていただきました。
終わってみて、いかがでしたか?

楽しかったぁ!
今日は演出係だったんです。
さらに衣裳係も兼任でって言われましたけど、さすがに手が回らないので、別の人にお願いして(笑)。
今回のステージの流れとか、アナウンスの原稿書いたりとか。
演奏曲の曲順も(指導者の)和久井先生と相談しながら考えました。
和久井先生が“今回はどんな感じ(コンセプト)でいきますか?”っておっしゃるので、“私はいつも「鄙(ひな)には稀(まれ)な」って言われるような合唱をやりたいんです!”って。
私たちの合唱団は特に協会などに入ってるわけでもないし、ほとんど阿賀町だけで活動してますでしょ。
でも、「学芸会」として観られたくないし(笑)、「オバサン」にも観られたくないし(笑)。
やっぱり、「鄙には稀な」って言われるような、スッと立ち姿のいいような合唱を、サラッとやりたいなっていうのがありましたね~。


――とっても素敵でした。みなさんキラキラ輝いてましたよ!

先生がいつも、目の前にニンジンをぶら下げてくださって(笑)。
ちょっとニンジンに近づいたかなって思うと、また遠くに持ってくので(笑)、練習が楽しいですね。
ひとつ課題をクリアすると、すぐ次の課題を与えてくださるから、すごい嬉しい。
この歳になってね、教えていただいて何かをやるってことは、幸せですよ。
仲間もいっぱいできるしね。
音楽の輪が広がっていくのが合唱のいいところですね。


――本間さんにとって、阿賀野川とは何でしょう?

阿賀野川は「母なる川」です。
河原で遊んで石拾いして(笑)、泳いで、魚も捕まえたしね。
阿賀野川に育てられたようなものです。


――本日はお疲れのところ、ご協力ありがとうございました。



本間 茂子
1949年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町(旧三川村)出身
高校3年生のときに羽越水害を体験
1996年三川村混声合唱団(現阿賀野川混声合唱団)に加入
パート:アルト