2012年1月12日木曜日

「山口 春市 インタビュー」

阿賀野川ライン舟下り――。
悠々と流れる阿賀野川を、四季折々の表情を映す渓谷美を眺めながら旅をする。
その案内役は、阿賀野川を愛する個性豊かな船頭たちだ。
今回、ベテラン船頭山口氏に舟下りのことや羽越水害のことを伺った。




自分は家ごと濁流に流されてしまってもいいと、覚悟はしてましたね。


――船頭になったきっかけを教えてください。

以前の職場で60歳の定年を迎える時に、“船の運転免許が取れたらここ(阿賀の里)で一緒に働きましょう”と友達を約束をしたんです。
それで船舶4級の免許を取得して、再就職ということで船頭になりました。
以前は「山」での仕事をしてたんだけども、今度は「川」へ来たわけだから、何をやらせてもらっても新発見でした。
ロープを取る方法にしても、船を動かす方法にしても、全部が新発見でしたね~。
最初の頃はね、操舵をやってたんだけどさ。
今日までは、ほとんどガイドの方をやってきました。


――船頭になって大変だったことはありますか?

大変なのはね、やっぱり洪水になるとロープを取って船を移動させたりすることかねぇ…。
だけど、いつもは楽しいことばかりですよ。
お客さん相手だからね(笑)。
楽しくしゃべって、それでお客さんが自分の話に乗ってくれた時なんかは嬉しいね。
私は雑談とか好きな方だから。
聴いてくれるお客さんはありがたいなぁと思ってます。


――特に印象に残ってる思い出は?

タレントの森公美子さんが来た時なんかは今でも覚えてます。
まだ私が船頭なってから2年目ぐらいの頃でしたかね。
ちょうど私がガイドを務めた船だったんです。
夏の暑い日でね、虻やメジロが飛んでるのを見て森さんが、“私が捕ってあげます!”なんて言ってね(笑)。
気さくな方でしたね~。
あの頃はタレントさんがいっぺぇ(いっぱい)来たんだわ。



――山口さんは五十沢のご出身とお聞きしましたが。
羽越水害のことは覚えていらっしゃいますか?


あの日は、子供たちを負んぶして住民を避難させてました。
激流に足を取られないようにロープに捕まりながら。
その後もどんどん水が増えてきてね。
そこの現場には消防団は私しかいなかったから…。
“この子供たちをどうやって守ったらいいかな”って考えてました。
タンスの引き出しに乗せて流してやろうかな、とか。
それでどこかへ無事に流れ着いてくれればありがたいなって。
自分は家ごと濁流に流されてしまってもいいと、覚悟はしてましたね。

大きな牛もいたんだけどね。
縄でくくり付けられているから逃げるに逃げられないでしょ。
だんだん水に浸かっていくのを見てて、かわいそうでしたね。
しまいには鼻の頭だけしか見えなくなってしまった。
でも、そこからだんだん水も引いてきて、この牛もなんとか助かったみたいでしたね。

私の自宅は山の方にあったので特に被害もなく、心置きなく避難誘導とかできましたけど…。
消防団の人でも自宅が流されたとか、被害に遭った方はいっぱいいるんです。
実際にああいう状況になると、やっぱり自分の家が心配なんでしょうね。
家に帰ってしまって、消防団として働きに出た人なんて、そんなに何人もいなかったんだよね。
だから大変でした。


――合唱組曲「阿賀野川」はこの羽越水害がテーマとなっているんです。

そうなんですってね。
5年くらい前だったかな~。
1回どこかで聴いたことがあります。
“立派に歌ってるな~、いい歌だな~”と感心して聴いておりました。
20年間歌い継ぐってすごいことですね。


――最後に、山口さんにとって阿賀野川とは?

うーん、そうだねぇ…。
「恵みの川」ですかね。
阿賀町だけじゃなく、阿賀野川に沿って生活している人々は、みんなそう思っているでしょうけど。
この阿賀野川には助けられているな、と日々思います。



山口 春市
1933年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町(旧三川村)出身
1993年から阿賀野川ライン舟下り船頭ガイドとして活躍中
船頭の中でも地元方言がピカイチで、観光客を大いに楽しませている