「羽越水害復興記念碑」
昭和42年8月28日夜半から29日未明にかけて、日本海中部の低気圧からのびる前線が北陸を通り、関東北部で活発に活動した。
新潟県東蒲原郡三川村(現阿賀町)では400ミリを超える記録的な集中豪雨によって未曾有の大災害となり、死者、行方不明者18名、家屋の流出全半壊82戸、農地の流失埋没1は17ヘクタールに及んだ。
災害後全村民は一丸となって復興に立ち上がり、国、県をはじめとする力添えを得ながら、昭和42年10月に災害復旧事業を開始。
以来3年5ヶ月の歳月と41億9千万円の巨費を投じて復旧事業は完成した。
三川村綱木地区では災害復旧を記念して、昭和46年8月に復興記念碑を建立した。
《 復興記念碑 》
所在地:新潟県東蒲原郡阿賀町綱木 Google マップ
建立者/三川村綱木部落民一同
建立年/昭和46年8月
[表面]
羽越水害復興記念碑
三川村長 徳田 君三郎 書
[裏面]
昭和四十二年八月二十八日夜半来の集中豪雨は翌二十九日未明四百ミリを超える雨量となり綱木川は山腹崩壊による土石流が鉄砲水となって部落を襲った山くづれによる倒壊家屋三戸全壊流出七戸半壊十一戸床上浸水四十二戸を数え耕地の殆どが冠水し流失埋没二十町歩に達し道路の欠壊橋梁の流出により交通通信は全く途絶する大災害となった村を拳げて復興にあたること四ヶ年余の歳月を費し道路河川 農地農業用施設等の災害復旧工事が完成されたことを記念し部落民一同の浄財により昭和四十六年八月この碑を建立した
「羽越水害慰霊碑」
最も犠牲者の多かった石間地区では、上の沢川と下の沢川に護岸工事が行われた。
また、上流には砂防ダム2基も設けられた。
これを機に、羽越水害で亡くなった18名の霊を弔う慰霊碑を建立。
《 慰霊碑 》
所在地:新潟県東蒲原郡阿賀町石間 Google マップ
建立者/三川村
建立年/昭和46年9月
[表面]
慰霊碑
新潟県知事 亘 四郎
[裏面]
昭和四十二年八月二十八日県北部に発生した集中豪雨による羽越水害は、翌二十九日未明山地に大崩壊を起こし渓流は暗黒の土石流となり次の十八名の人命を奪い村政史上かつてない大災害となった
石間
板屋越 一男
一美
文子
一子
静江
さとみ
山口 赤松
ハツ工
藤子
潔
石井 政美
益江
久美子
神田 和喜知
細越
長谷川 政夫
シュン
上島
神田 与太郎
神田 レン
災害復旧事業の完成を機に、ここに亡き霊を弔い大自然の与えた戒しめを永く後世に伝えるため水害の際に押し出された自然石を用いこの碑を建立する
昭和四十六年九月
三川村長 徳田 君三郎