2012年1月6日金曜日

「齋藤 將弘 インタビュー」

合唱組曲「阿賀野川」は、平成3年の初演発表会から三川中学校の生徒らによって、長きに渡り歌い継がれてきた。
それはまさに「先輩から後輩へ」と、20年分の伝統を積み重ねてきた、いわば歴史そのもの、財産である。
ともに学び、ともに歌い、お互いの成長を競い合って中学校生活3年間を過ごした彼らの共通言語は、今でも「阿賀野川」なのだ。
平成3年度から現在に至るまで、卒業生のインタビューをシリーズで掲載する。




――「阿賀野川」を初めて歌った時のことを教えてください。

“えっ!?何これ!?”…って感じかな。
“教科書使わないの?”っていう。
だってね、2年生の授業の最初に、わらばん紙の楽譜を手渡されたんだよ。
“これを覚えろ”って言われて(笑)。
それが音楽の教科書の代わりでしたね。
最終的に、そのわらばん紙の楽譜は50枚くらいになりました。


――あっ、最初はわらばん紙の楽譜だったんですね~!

そう。岩河三郎先生直筆の楽譜。
中学校に郵送で送られてきたやつを、岩崎先生(音楽教諭)が人数分コピーして配ったんだね。
ページ番号も書いてないから、順番メチャクチャになって大変でしたよ。
またその楽譜がね、何書いてあるか読めねんさ(笑)!
音符なんか「おたまじゃくし」というよりは「点」だった。
その「点」すら書いてないやつもあったよ。
あれでよく歌ったよなぁ~…(笑)。


――思い出に残ってることはありますか?

初演の最後アンコールも歌い終わり、幕が閉まった後は感動的でした。
ピアノ伴奏をされた畑野かん奈さんが、私達生徒へ感謝の言葉を言うんです。
“みなさん、最後までありがとうございました。”って。
他にも山本和夫先生、岩河三郎先生、小林光雄先生(当時国立音楽大学教授で三川中学校生徒の発声を指導)もみんないらっしゃった。
初演のCDにも収録されてない、舞台裏の感動シーンが、今でも思い出として残ってますね。
だって、4月から練習が始まって、8月に発表会でしょ。
わずか4ヶ月でよく覚えたなぁと思って。
“あぁ…、終わっちゃった…”っていう開放感みたいなのと、やり遂げたっていう達成感と。
何とも言えない舞台裏でした。

あと、私が3年生の時のBSNこども音楽コンクール。
アレも忘れられないなぁ…。
歌い終わってから、アナウンサーのお姉さんがインタビューをし始めて…。
私のところに来たんです。
…ビックリしたね(笑)!
それで、“どんな指導を受けて練習をしてきましたか?”みたいなことを質問されて…。
“忘れました!”って答えたっけね(爆笑)!
ちなみにそのステージ上には、徹(ミナガワトオル氏)もいましたよ。


――初演から20年。また「阿賀野川」を歌ってみようとか思いますか?

うーん。当時から歌詞も変わってるし、歌い方も私達の頃とは違った表現で歌われてますから、無理でしょう。
一見すると大きな違いはないように思われがちですが、私なんかは初演の頃に身体に染み込ませたものですから。
だから今、楽譜を見て歌おうとしても、歌の表現についても、音程や発音などについても、無理でしょうね~。
たぶん、当時に身体が覚えたまま歌ってしまう。
ご飯食べてる時間より、歌ってた方が長かったくらいですから。


――なるほど~。それくらい岩崎先生の指導に熱が入ってたんだなぁと想像できます。

通知表で「9」しかくれなかったけどね(笑)。
先生の引っ越し手伝ったのに(笑)!
あぁ、あれは卒業した後か。
かわいがってもらってましたね~。
寿司をご馳走してもらったり、上川へ一緒に松茸採りにまで行きましたよ。


――齋藤さんは合唱団にも在籍してたそうですが。

ほんと一時期ね。
あの時は庄司公民館長にはとてもお世話になりましたね。
あの方がいらっしゃったから、今日まで歌い継がれてると言ってもいいくらいですよ。
三川村混声合唱団(現阿賀野川混声合唱団)を立ち上げ、あの頃かなりの努力をされてたと思いますよ。
私達のような高校生が、電車乗って、自分が降りる駅を通り越して練習に来てくれるのに、“夕飯も食べないでかわいそうだ!”って言ってね。
全部自腹で用意してくれてたからね。
私は、庄司さんのことを当時から慕ってましたよ、親父のようにね~。


――阿賀町はどんなところですか?

他所に出た人間じゃないからよくわからないけど、ずっとここに居るってことは、良い所だからじゃないのかなぁ。
具体的にココがってのは言えないよね。
この土地を一度離れた人は、やっぱり外から改めて地元の良さを発見することができるだろうけど。
井の中の蛙かもしれないけど、この町というか村、部落…、地域って言ったらいいかな。
とにかく、私の住んでるココはとても住み心地が良くて好きです。
世代を越えて、常に集まれる仲間とも繋がっていられるのも、この地域だからこそなのかもね。




齋藤 將弘
1977年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町(旧三川村)出身
平成4年度三川中学校卒業生
パート:バス
斉藤電気工業 代表