2011年11月29日火曜日

「清野 博貴 インタビュー」

合唱組曲「阿賀野川」は、平成3年の初演発表会から三川中学校の生徒らによって、長きに渡り歌い継がれてきた。
それはまさに「先輩から後輩へ」と、20年分の伝統を積み重ねてきた、いわば歴史そのもの、財産である。
ともに学び、ともに歌い、お互いの成長を競い合って中学校生活3年間を過ごした彼らの共通言語は、今でも「阿賀野川」なのだ。
平成3年度から現在に至るまで、卒業生のインタビューをシリーズで掲載する。




――清野さんは合唱組曲「阿賀野川」の初演メンバーの学年だったということですが、どのようにして歌い始めたんですか?

確か中学2年の1月頃だったかなぁ。
まず岩河先生ご本人の前で「親しらず子しらず」(※1)を歌いました。
その時は、何でご本人を前にして歌っているのかがよくわかりませんでしたけどね。
今思えば、あの時すでに「阿賀野川」の企画・制作が始まっていて、実際に完成した曲を歌うことになる私達を、事前に見に来られてたのかもしれませんね。
それから3年生になってすぐに、1曲目「阿賀の里」の楽譜をもらって、練習が本格的に始まりました。
楽譜と同時に、ピアノの伴奏だけが入ったカセットテープを渡されたかなぁ。
“これをダビングして、個人で練習してくるように”とか言われて。
それからは地獄のような日々だったね(笑)。


――地獄ですか(笑)。どのような授業だったんですか?

うーん、授業ねぇ…。
音楽の教科書を開いたことがない!
音楽が「阿賀野川」でした(笑)。
授業だけでは足りなかったから、放課後もだいたいやってました。
3年生はもう部活も引退してましたしね。
そして家に帰っても、ひとりでパート練習っていう…。
中学校3年生の思い出と言えばもう…、ほぼ毎日のように組曲を練習してましたね。


――凄いですね…。特に印象に残ってることはありますか?

初演発表会で歌い終わった後、拍手が鳴り止まなかったのは覚えてますね。
凄い拍手だったなぁ、という印象です。
あと、“アンコールで三川中学校の校歌を歌ってください!”ってリクエストがあってね(笑)。
みんなで“えーーーっ!”って言ったのは覚えてます(笑)。
ステージの上でざわめきが起こったね(笑)
結局、岩河先生の指揮で「羽越大災害」を歌ったんだけれども。
まぁ、アンコールなんてあると思ってませんでしたね。
また、私達は初演の後、BSNこども音楽コンクールにも出演してるんです。
そこで優秀賞をもらったことも印象深いです。。
他の中学校に負けて悔しい想いもしましたけどね。
まぁ「負けた」って表現も違うんだろうけど、最優秀賞に届かなかったのが悔しかったですね。
この時歌ったのが、第5曲「光にむかって」だったんです。
だから「光にむかって」は一番思い入れがあります。





――今日まで20年間歌われ続けていることに関してはいかがですか?

凄いですよね、よく続いてると思います。
でも卒業してからは、後輩達が歌う「阿賀野川」を聴く機会がなかったんですよね。
高校生の時に合唱団のメンバーとして、文化祭で一回歌ったことがあるくらいで。
でも長い間こうやって歌われていることは、初演メンバーとしても嬉しいですね。
合唱組曲「阿賀野川」は、地元三川の魅力のひとつなのかなと思います。
歌っている生徒も素晴らしいですが、指導している歴代の先生方も頑張っていらっしゃいますね。
今じゃ先生方も生徒と一緒に発表会で歌うっていうから凄いですね。
私達の時代では考えられない(笑)。


――最後の質問です。清野さんにとって阿賀野川とは何ですか?

組曲「阿賀野川」を最初に歌ったのは私達でしたし、初演以外にもBSNコンクールも出たし…。
卒業式でも歌いましたしね。
ほぼ1年間通して練習したわけだから、私にとっては「思い出」ですね。
ホントに「阿賀野川漬け」みたいな感じだね(笑)。



清野 博貴
1976年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町(旧三川村)出身
平成3年度三川中学校卒業生
パート:バス
農林業関係


(※1)「親しらず子しらず」
合唱組曲「阿賀野川」と同じく、山本和夫作詩・岩河三郎作曲による最もポピュラーな合唱曲のひとつ。