2011年12月27日火曜日

「大屋(旧姓 斎藤) 美智子 インタビュー(後編)」

昭和42年8月――。三川村を集中豪雨が襲い、死者、行方不明者合わせて18名を出した。
この羽越災害の体験をもとにして書かれた中学3年生の作文は、のちに合唱組曲「阿賀野川」誕生のきっかけとなる。
あれから40年以上もの月日が流れたが、当時のことは今でも“思い出したくない”と彼女は語る。
“それでも何かのお役に立てれば…”と、合唱組曲「阿賀野川」を歌うすべての人達へ伝えたいメッセージとは。

(後編)


<前編を読む>



命あることや、元気で生活することに感謝の気持ちを感じたら、何でもできそうな気がする。


――合唱組曲「阿賀野川」が三川中学校を中心として20年間歌い継がれてきたわけですが。

私はこの合唱曲を、りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館(2004年8月)で初めて聴きました。
…なんて言ったらいかなぁ…、不思議な感覚…。
特に第三曲「羽越大災害」を聴いた瞬間、すぐ記憶が戻ってきて。
普段は水害のことなんて、全然忘れて暮らしているんですが。
“ああ、いい歌だな”というのとは違うんですね。
その時、歌ってる方々と実際体験した私の感覚とにはズレがある、と感じました。
他の曲はとても気持ちよく聴けますよ。
将軍杉の歌とか、子供達が口笛を吹いて歌う、ああいうのを聴くと“ああ嬉しいな、いいな”って思いますけど。
水害のストーリーに入ると、なんかこう、ハマってしまうと言うかね…。
この感情だけは勝手に沸いてくる。
三川中学校の体育館(2007年9月)で聴いた時も、妙な気持ちで聴いていましたね。
涙がボロボロ出てね。
でも生徒達が歌ってるのは本当に素敵でしたね。
あのカタチになるまでって、すごい練習をされたんでしょうね。
舞台から声を掛けられているような、優しい感じを受けました。
ふるさとが一緒ですけど、それだけで繋がっているような意識はありますね。


――今日は貴重な卒業アルバムも持ってきてくださったんですよね。

はい。こちらに写ってるのが…、私が作文で書いている板屋越 文子さんです。
三川中学校は、当時三つの中学が統合したもので、私達が実質第一回目の卒業生なんです。
彼女とは、統合してから1年も一緒にいれなかったけど…。
とても小柄で、髪がサラサラしてかわいい人でした。
こうして彼女のことを折に触れて話すのは、たった15年しか生きれなかった彼女のことを知ってもらいたい、思い出してもらいたい…。
そんなふうに思って時々話しはします。
私は彼女とクラスも違いましたし、親友だったわけではないんですが、同じ学校で学んだ友達としてね。


――「羽越大災害」や「悲歌」は、ぜひ文子さんのことを思って歌ってほしいですね。

そうですね。
命あることや、元気で生活することに感謝の気持ちを感じたら、何でもできそうな気がすると思ってもらえたらいいですね。
それで中学生に宛てた手紙に、亡くなった友達のことを書いていいのかどうかは迷ったんですけど。
15歳で彼女の人生は終わってしまいましたが、でも私は運よくそのまま生かしてもらってるから。
今の中学生にも、健康で命があれば素晴らしいことだ、と感じてもらえたら嬉しいなって。
この水害で亡くなった人も大勢いたんだよ、ってことを歌ってる時だけでも実感してもらいたいです。
そしたら、“僕達、こうやって元気で学校行けることってすごいんだ”って分かってもらえると思います。
軽い形でね。
重く受け止めなくてもいいかなーとは思いますね。
私が伝えたいのは水害の大変さよりも、こっちの方かな。


――今回、大屋さんの後輩にあたるミナガワトオルさんが、新しい「歌い継ぐカタチ」を企画されてますが。

今回のインタビューをお願いされたのもそうですけど、私は何かにつけてこの合唱組曲「阿賀野川」に関わるような感じになっています。
水害のことはいつも記憶の片隅にあるんだけど、どちらかと言えばこう…生々しく思い出さないように生きてきました。
ああいう体験をしたことは、忘れないけど…、やっぱり思い出したくないですね。
でもミナガワさんのように、羽越水害を風化させないようにとか、合唱曲の20周年を盛り上げたいとか思って活動されてて。
この「合唱×ROCK」が更に何年か経って、次にまた誰かが同じように感じて、次の時代にいろんなカタチで繋がれていくと思うと…。
とてもいいことなんじゃないでしょうかね。
この全部の歌(5曲)をCDにされるんでしょ?
まったく違う音楽になるんですね、凄いですね~。
過去に歌われてきた方々も、みんなまた気持ちがひとつになったりね。
CDが出来上がるのをみなさん楽しみにしてらっしゃるんでしょうね。



大屋(旧姓:斎藤) 美智子
1952年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町(旧三川村)出身
昭和42年度三川中学校卒業生
現在は新潟市中央区にて寿司屋を夫婦で営んでいる