合唱組曲「阿賀野川」の詩の世界観を深く読み解くには、まず作詩者山本和夫という人物を知る必要がある。
1907年(明治40年)福井県遠敷郡松永村(現小浜市)に生まれ、生涯ふるさとを愛した。
そんな山本氏と親交の厚かった若狭の人々に、その人柄や思い出などを伺った。
偉大なる文学者の遺伝子は、確かにその地へ受け継がれていた――。
<前編を読む>
私にとって、山本先生はサンタクロースのような人
――他にはどんな思い出がありますか?
亡くなられるちょっと前に、“絵はがきを何枚送ったかな?”って言わはったのよ。
私に100枚の絵はがきを送ってくれる、という約束をしてたんです。
本当は80枚くらいあるのに、私は“40~50枚くらいでしょうかねぇ。”って嘘をつきました。
先生には“嘘ついとるやろ。”と、すぐばれてしまいましたけどね(笑)。
オー・ヘンリーの短篇に、葉っぱが落ちるお話がありますでしょ。
その話になぞって、少なく言ってちょっとでも長生きしてもらおうとしたんですが(笑)。
でもその後ね、ドサッと絵はがきが30枚くらい送られてきたのね。
一番最後のはがきが、誰か他の人に宛てた年賀状の書き損じが入ってました。
それを見て私は“あぁ、先生は亡くなられるなぁ。”って悟りました。
――【阿賀野川】コーラスサミット2004(※)では、吉井さんも「わかさ『青の村』合唱団」として「阿賀野川」を歌った経緯もあるとのことですが。
はい。
バスに乗ってね、新潟まで歌いに行きました。
当日指揮をされる岩崎先生には、新潟から何回か来ていただいて、指導もしていただきました。
新潟で合唱したときに、歌が合わなかったら困るからね。
あの時は、三川村の「阿賀野川」混声合唱団の他、いくつかの合唱団と一緒に歌ったんです。
――三川村へは行かれたことはありますか?
コーラスサミット以前、平成11年(1999年)7月に組曲「阿賀野川」を聴くため、三川中学校へ行ったことがあります。
そのときは明通寺の僧侶中嶌哲演さんや松井正さん、竹中延年さん(律子さんのご主人)も一緒でした。
三川温泉に入ったり、将軍杉も見に行きました。
懐かしいですね。
――最後の質問です。吉井さんにとって「山本和夫」とは?
私が作詩・作曲した「わたしのサンタクロース」という歌があるんです。
わたしのサンタクロース
作詩・作曲 吉井多美子
1.
わたしの好きなサンタクロース
トナカイのそりに乗り
冬の星空をかけてゆく
ベルを鳴らして
※リンルンルン リンルンルン リン ルンルン
リンルンルン リンルンルン リン ルンルン
リンルンルン リンルンルンルン ルン ルンルン
2.
わたしのすきなおじいさん
赤い帽子に赤い服
白いおひげがよくにあう
いつもにっこり
3.
わたしのすきなサンタクロース
大きな袋の中に
いっぱい詰まった夢と愛
くばってゆくの
※くり返し
これは、山本先生のイメージして作りました。
私にとってはサンタクロースのような人でしたね。
――まさにイメージにぴったりの曲ですね(拍手)!
貴重なお話を聞かせてくださいまして、ありがとうございました。
吉井 多美子
1946年生まれ
京都府京都市出身
小浜病院ボランティアすみれの会、若狭福祉会、
福井県立若狭歴史民俗資料館友の会会員
※【阿賀野川】コーラスサミット2004
2004年(平成16年)8月29日、りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館コンサートホールにて開催。
日本全国から、「川」にちなんだ合唱曲を歌っているコーラスグループ9団体が新潟に集結した。