合唱組曲「阿賀野川」は、平成3年の初演発表会から三川中学校の生徒らによって、長きに渡り歌い継がれてきた。
それはまさに「先輩から後輩へ」と、20年分の伝統を積み重ねてきた、いわば歴史そのもの、財産である。
ともに学び、ともに歌い、お互いの成長を競い合って中学校生活3年間を過ごした彼らの共通言語は、今でも「阿賀野川」なのだ。
平成3年度から現在に至るまで、卒業生のインタビューをシリーズで掲載する。
――リーダーのミナガワさんとは同級生と伺っております。
「阿賀野川」の思い出など聞いていきますので、よろしくお願いします。
…それが覚えてなくって(笑)。
でも最初聴いた時、3曲目(「羽越大災害」)だけが「怖い」って印象だったのを、今でも覚えています。
あと2曲目(「ふるさとの将軍杉」)はすごく力を入れて練習してましたね。
4曲目の「悲歌」は、特に印象が薄いですね。
というのも、私たちの学年は3、4曲目って、歌う機会が少なかったんじゃないかな。
――授業での思い出などは?
私、歌はあまり上手ではなかったので…。
授業ではパートごとに分かれて、それぞれ別の教室へ移動して練習するんですよ。
カセットテープを聴きながら(笑)。
それで、時間になると一人ずつ先生に呼ばれて歌うっていうテストがあったんです。
確か「ふるさとの将軍杉」を歌ったような。
音程が取れていればOKなんだけど。
取れてないとまたパート練習に戻されてやり直し…(笑)!
――うわぁ。同じようなことを、以前どなたかもインタビューで嘆いてましたね(笑)。
それを繰り返したことがあります。
あれは嫌だった…。
音楽の授業はいろいろあったけど、最終的には“楽しかったなぁ~”という思い出ですね。
他の中学校ではきっと経験できなかったこともあったので。
――「阿賀野川」が20年以上も歌われていることについてはいかがですか?
スゴイと思う!
なんか不思議な感覚です。
私たちは音楽の授業の中で「阿賀野川」を3年間やってきたんですけど。
それが歌い継がれているっていうのが不思議。
中学生の頃はわかりませんでしたが、みんながこの組曲に力を入れているんだなぁと。
今となって、20年以上も歌い継がれているのを見てて、スゴイことなんだと感じてます。
――「阿賀野川」の中で思い入れの強い曲は?
中学時代最も多く歌った「将軍杉」…よりは、5曲目(「光にむかって」)です!!
4曲目の終わりから、5曲目にかけての部分も。
だんだん明るくなっていくのがいいですね。
「将軍杉」は歌い込み過ぎて、飽きもある…(笑)。
やりすぎた(笑)!
――ははは(笑)。
さて、阿賀町の魅力について教えてください。
観光名所はいっぱいあります。
意外と出身者って魅力に気付かないものですよね。
私は以前、町外の友達を招いて阿賀町を案内したことがあります。
その時、どこに連れて行こうかいろいろ調べたんですよ。
そしたら結構ありましたよ。
――へぇ。ちなみにどんなところへ行ったんですか?
不動滝!
結構迫力がありました。
あと狐の嫁入り屋敷とか、ダチョウ牧場とか(笑)。
将軍杉も見たし、ライン舟下りにも乗りました。
舟下りは成人式の時以来で久しぶりでした。
――地元の人は近すぎて、逆に魅力を見落としがちになりますよね。
では次の質問、北上さんにとって阿賀野川とは?
「心のふるさと」でしょうか。
私が生まれ育った実家のすぐ裏には、阿賀野川が流れています。
小さい頃から川へはよく行ってたので、「普通にあるもの」のような感覚なんです。
そこにあって当たり前だし、離れるのは嫌ですね。
家からは「ウルトラマン山※」も見えるし。
あの景色がとても好きです。
落ち着く場所ですね~。
――いよいよ合唱×ROCK「阿賀野川」が発売されましたが。
徹(ミナガワトオル氏)からこのプロジェクトのことを聞いた時、
なんか懐かしくなって初演のCDを聴き返しました。
探しましたよ、段ボールをあさって(笑)!
徹以外のメンバーさんは、合唱の「阿賀野川」を歌ってたわけじゃないので、
ちょっと私たちと感覚が違うかもしれませんけど、これからも頑張ってほしいです。
応援しています。
そして、旧三川村のことをどんどんPRしてください。
みかわ園での訪問演奏会ではありがとうございました!
――ご協力、ありがとうございました。
※ウルトラマン山
誰が名付けたか、三川中学校からも一望できる山の呼称。
ウルトラマンが仰向けに寝ているように見えることからその名が付けられたという。
ミナガワトオル氏が在学中には既にこう呼ばれていて、「阿賀野川」と同じく、三川中学校では代々語り伝えられている(?)
北上 幸子
1978年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町(旧三川村)出身
平成5年度三川中学校卒業生
パート:アルト
介護施設勤務