2012年3月11日日曜日

柾木 ゆり子 インタビュー

合唱組曲「阿賀野川」が初演された翌年に三川村混声合唱団(現阿賀野川混声合唱団)は結成された。
母なる阿賀野川のふもと、四季折々に変わるその姿に大自然の偉大さを感じながら、大切に歌い継いできたという。
阿賀野川混声合唱団の柾木団長は、昭和42年に羽越水害を体験している。
さらに昨年の新潟・福島豪雨という災害も乗り越えて、「阿賀野川」をどのような想いで歌うのか。




一歩でもいいから前に進んでいかないと、道は拓けない。


――合唱組曲「阿賀野川」の第一印象を教えてください。

友達から“うちの子が中学校ですごくいい曲を歌ってるんさ”と教えてもらったのがきっかけです。
最初、話を聞いただけではどういう曲なのかわからなくて…。
それで、初演発表会のCDを買って実際に聴いてもみたんだけど、いまいちピンと来なかったのね。
初演の翌年“「阿賀野川」を歌い継いでいこう”と、村に合唱団を作ることになりました。
私も一応入ったんだけど、当時はなかなか練習に行く機会がなくて…、歌もすぐには覚えられなかったのよね。
でもね、息子が中学校3年生の時に、新潟市音楽文化会館での発表会を観に行きました。
そこで第五曲「光にむかって」を初めて生で聴いたの。
男性パートの「暴れまわる阿賀野川…」というところが、ものすごい迫力でね。
そこに女性が「Wo Wo…」と歌うでしょ。
ここのフレーズが強く私の印象に残って、“あ~…、すっごい曲なんだ!”と初めてそこで感じました。


――やっぱり生で歌ってるのは違いますか?

そうね、初演のCDを聴いただけではなかなか伝わって来なかったんですね~、私はね。
男性があそこまで声を力強く出せるっていうのはすごいなと。
とても衝撃的でしたね~。


――合唱団についてお聞きしたいのですが。

平成4年に「三川村混声合唱団」という名前でスタートしたんです。
あの頃は中学生や高校生も一緒に歌ってて、指導してくださるのも中学校の先生で。
なので「合唱団」とは言うものの、存在自体がなんか中途半端というか…異質でしたね。
夜の合唱練習を中学校の先生が指導するとなるといろいろ問題もあるということで、当時の校長先生から“中学校の先生を指導から切り離した方が良いのでは”と提案がありました。
そういった経緯もあって、現在の和久井先生をご紹介していただいたんです。
それが平成10年5月のこと。
この時点で「三川村混声合唱団」から「阿賀野川混声合唱団」に名前を変えたんです。
そして、東蒲原郡に4つの合唱団が揃ったことになりました。
津川の「コーラス木声会」、鹿瀬の「鹿瀬混声合唱団」、上川の「合唱団かじか達」、そして三川の「阿賀野川混声合唱団」。



――思い出や印象に残っていることはありますか?

私が歌い始めたばかりの頃なんですが。
第三曲「羽越大災害」の「昭和42年の8月29日の…」という歌詞のところにくると声が詰まっちゃって、涙が先に出てくるんです。
もうね、何回もそういうことがありました。
最近になってようやくなくなりましたけどね。
また、いつも聴きに来てくれるあるお客さんが、必ず泣く場所があるんです。
それがとっても印象に残ってます。
“言葉では言えないけれども、歌を通してお客さんに届いて欲しい”という気持ちで歌っていますので、泣きながら聴いてる表情を見ると、ちゃんと届いているんだなって実感します。


――思い入れの深い曲はありますか?

その年によって違います。
自分を取り巻く環境の変化や、その年のいろんな出来事によって表現方法が違ったり、思い入れる場所が変わったりします。
昨年は(水害があったので)阿賀野川を恨めしく思ったり…。
でもね、(東日本大震災による)津波で災害に遭ったけど“海を恨んでない”と言う人の気持ちもすごくよくわかる。
阿賀野川は住んでいる人にとって、大事な川なんですよね。
肥沃の大地を作ってくれている川。
私たちは生かされているわけだから、「恨む」というのではなくって、大切に「共存」していかなくてはだめなんです。
自然と人間とが一体となって、うまく寄り添いながら過ごしていかなくてはならないから。


――2011年、特に想いを込めた曲は?

悲しい物語を描いた第三曲「羽越大災害」や第四曲「悲歌」ではなくて、第五曲「光にむかって」です。
何日間かは本当に悲しくってどうにもならないんだけど、やっぱり「生きている」というありがたさを感じました。
実際に被災された方にとっては“そんなの綺麗ごと…”って思われるかもしれませんが。
あれだけの痛手を受けても、笑ってインタビューを受けて“頑張ろう、頑張ろう!”と言う動きもあるでしょ。
やっぱりこれなんだよなぁと思って。
そこだけに踏み止まってはいられないっていう。
一歩でもいいから前に進んでいかないと、道は拓けない。
昨年はすごく感じましたね~。


――これからの合唱団や阿賀町に望むことはありますか?

今、合唱団にいるメンバーは結構高齢になってきてるんです。
だから、できればもうちょっと若い人にも入ってもらわないと、私たち…(笑)ね。
だんだん辞めざるを得ないようになってきて、途切れちゃうと困るので。
引き継ぐ人たちが欲しいですね。
あと、もうちょっと阿賀町の人に感心を持っていただきたいです。
この組曲はテーマが重いので、とっつきにくいんでしょうか。
だから、さっきROCK調にアレンジされた「ふるさとの将軍杉」のデモ音源を聴かせてもらいましたけど。
こういう曲調で聴いてもらえたなら、割と耳にスッと入ってくると思います。
合唱としても「ふるさとの将軍杉」は誰でも口ずさめるようになって欲しいなと思いますね。


――柾木さんにとって、阿賀野川とは何でしょう?

大切な「母なる川」ですよね。
阿賀野川ラインは綺麗で、水が光ってるんですよ。
気温が低くなるとね、水が張りつめたようでピカピカ光ってるのが何とも言えないです。
犬の散歩で堤防を毎日歩いてました。
対岸の山々も春夏秋冬いつも綺麗だし、たまに虹が架かったりすると素敵だしね。
若いころは三川村があんまり好きではなかったけど、“こんなにいいところだったんだ!”と20年くらい前から思うようになりました。
合唱組曲に関しても、携われた一人として昨年ほど“良かったなぁ”と思ったことはなかったです。
私たちにとっては本当に大切な曲だから、これからもひとつひとつの詩に対し真摯に向き合っていきたい。
もう少し上手になったら、大勢の人から関心を持ってもらえるかもしれないし(笑)。


――では最後に、阿賀野川混声合唱団からPRをどうぞ。

平成20年8月31日に阿賀町文化福祉会館で「合唱組曲『阿賀野川』を歌う会」というのをやったんです。
もう2年後くらいを目途に、その第2回目を開きたいと思っています。
現在、一緒に歌ってくださる方を広く募集しています。
練習は毎週していますけど、月に1回か2回でもいいので参加できる方がいらっしゃれば。
初心者の方でも2年後の発表会までには5曲全部歌えるかなと思います。
ぜひ一緒に歌いましょう。

  阿賀野川混声合唱団
  ☆☆ 団員募集 ☆☆
   いっしょに歌いましょう!!どなたでも大歓迎です。

  練習日:毎週金曜日 午後7:30~9:30
  練習場所:阿賀町(旧三川地区)
  連絡先:柾木 0254-99-2467
  事務局:波多野 0254-99-3700




柾木 ゆり子
1948年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町出身
1992年三川村混声合唱団(現阿賀野川混声合唱団)に入団
1998年5月より合唱団の団長を務める
パート:ソプラノ