2012年7月2日月曜日

「山口 究 インタビュー」

合唱組曲「阿賀野川」は、平成3年の初演発表会から三川中学校の生徒らによって、長きに渡り歌い継がれてきた。
それはまさに「先輩から後輩へ」と、20年分の伝統を積み重ねてきた、いわば歴史そのもの、財産である。
ともに学び、ともに歌い、お互いの成長を競い合って中学校生活3年間を過ごした彼らの共通言語は、今でも「阿賀野川」なのだ。
平成3年度から現在に至るまで、卒業生のインタビューをシリーズで掲載する。




――まず、合唱組曲「阿賀野川」についてお聞きしたいのですが。

そうですね…。
初めて聴いた時は13歳の頃でした。
小学生時代は、音楽の成績が悪かったので(笑)。
(音楽は)あまり好きな教科ではありませんでした。
だから“「阿賀野川」なんて絶対歌えない!!”っていうのが正直な第一印象でしたね。


――実際3年間歌ってみて、どうでしたか?

中学3年生になった時に、「歌いつぐ会」の実行委員長をやらせていただいて。
“なんでこんなヘタな自分が…。務まるのかな”と不安にも思いましたが(笑)。
今ではすごくいい思い出になってます。


――どんな思い出がありますか?

やっぱり、みんなで協力して取り組んだことですね。
僕が3年生の時は、ちょうど11周年目だったんです。
“もう一回みんなで踏み出そう!”っていうことで、「あらたに踏み出す一歩」というスローガンを掲げました。
実はPTAの方(かな?)が、気になさってたそうです。
“ひとつの節目である10周年が終わった時に、次はどのようなスローガンで来るのだろう?”と。
でも発表会の最後のコメントで、“このスローガンを聞いてすごく嬉しく思いました”と言ってくださったんですよね。
実行委員長として“ああ、このスローガンの下やってて良かったな”と思った瞬間でしたね。


――大変だったことはありますか?

う~ん…。
僕、口笛が吹けないので…(笑)。
「ふるさとの将軍杉」ではずっと吹いてるフリをしていました(一同爆笑)。


――思い入れの強い曲は?

…まぁそういうこともあって、やっぱり「将軍杉」ですかねぇ(笑)。
あの時、もう少し自分の意識が変わってたなら、口笛が吹けるようになるまで一生懸命やったかもって思います。
もしあの頃の自分に会えたら、“ちょっとがんばって練習してみたら?”って言いたいですね~。


――「阿賀野川」が20年間歌い継いがれていることに対して、いかがですか?

三川中学校の体育館に、「第20回…」という「歌いつぐ会」の張り紙が張り出されているのを見た時は驚きましたね。
“もう20年なんだ~”と。
20年って言ったらそれこそ、子供が大人になるくらいの年月ですよね。
その時の流れというか、伝統の中の一部に自分が居れたことを嬉しく感じました。


――元「歌いつぐ会」実行委員長として、今後「阿賀野川」に期待することはありますか?

「合唱」って言うと、昔の僕みたいに音楽の授業が苦手な子は“歌えないよな~”なんて思っちゃうかもしれませんが。
馴染みのあるROCK調だとか、例えばそうですね、AKB48とかアイドルが歌うような感じにしたりすれば、親しみを込めて歌えるんじゃないでしょうか。
これから中学生になって歌う子供たちも、感情移入がしやすいんじゃないかな~と。
だから、合唱×ROCK「阿賀野川」のプロジェクトを最初聞いた時に、“うわ~っ!スッゴイこと考える人がいるな~!”って思いました、本当に。

また、この話が適切なのかわからないですけど…。
阿賀野川には「新潟水俣病」という歴史もあったりします。
僕は、水俣病の歴史について調べていた時期がありました。
そのおかげで、いろんな方々からお話を聞けたり、様々な経験をさせていただきました。
阿賀町のちょっとした面を深く見るだけで、多くのことを与えてくれるんですよね、阿賀野川って。
羽越水害のことは、風化させないように後世へ伝えていかなければいけませんが、それ以外の歴史についても深く学んでもらいたいですね。
地元の子供たちには、そこから自分たちの世界を拡げていって欲しいな、と思います。


――おぉ。なんて立派なんでしょう!
そうですね~。この合唱組曲「阿賀野川」がそういった歴史や文化を知るきっかけになってくれたらいいですね。


ホントに勝手で押しつけがましいかもしれませんが、個人的に、このROCK調になった「阿賀野川」に期待する点はそこに尽きると思っています。


――最後に、山口さんがにとっての「阿賀野川」とは?

阿賀野川=「ふるさと」です。
昨年の新潟・福島豪雨による水害や、羽越の水害もそうですし、水俣病とか…。
過去のそういった水害があったにも関わらず、それでもなお一緒に生活を共にしているのは、やっぱり「ふるさと」だからなんだと思います。





山口 究
1987年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町(旧三川村)出身
平成14年度三川中学校卒業生
パート:テノール
青年海外協力隊を目指し、今年3月からアメリカで農業研修中