2012年7月14日土曜日

「五十嵐 成美 インタビュー」

合唱組曲「阿賀野川」は、平成3年の初演発表会から三川中学校の生徒らによって、長きに渡り歌い継がれてきた。
それはまさに「先輩から後輩へ」と、20年分の伝統を積み重ねてきた、いわば歴史そのもの、財産である。
ともに学び、ともに歌い、お互いの成長を競い合って中学校生活3年間を過ごした彼らの共通言語は、今でも「阿賀野川」なのだ。
平成3年度から現在に至るまで、卒業生のインタビューをシリーズで掲載する。




――初めて「阿賀野川」を聴いた時の印象は?

姉兄が歌っている時に、家族で聴きに行ったのが最初です。
感動した、と言うよりは圧倒されたという感じですね。
普通の歌とは違う印象を受けました。
例えば、口笛を入れた歌(「ふるさとの将軍杉」)は初めて聴くものでした。
それは楽しい曲調ですけど、残酷な曲もあるし…。
いろんな感情がこの組曲には入っているなぁって。


――実際歌ってみて、いかがでしたか?

1年生の時は、歌う曲も(5曲中)2曲くらいなんです。
最初から全部覚えて歌うわけではないんですね。
感情を込めて歌う、とか細かいことは関係なし。
とりあえず一体感を出すために、裏声の練習でした。
「綺麗な声で歌う」ことだけを目標にして練習していました。

2、3年生になると、歌う曲も増えてくるし、今度は感情を込めて歌うようになってきます。
先生から教わると言うよりは、それぞれのパートごとに分かれての練習がメインです。
“ここはこういう感情で歌おう!”とか、“強弱を付けよう!”とか。
こういったパート練習の思い出が強いですね。


――なるほど~。生徒が自分たちで歌の表現方法を見つけていくんですね。

先生からのアドバイスもあるんですけど。
結局歌うのは自分たちなので。


――授業の中で、特に印象に残ってることはありますか?

音痴な子は個別レッスンを受けていましたね(笑)。
みんなパート練習で他の教室へ行くんですけど、その人たちだけは先生と残ってやってました。
あと、有名なおじさんが来てくれて…(笑)。
お名前は忘れたんですけど。
もともとパートは分かれてたんですけど、その方が音域をチェックして。
パートの再編成をやったのを覚えてます。


――有名なおじさんって…(笑)?

なんか、組曲「阿賀野川」を作った最初の時に関わっていたとか…。


――たぶん岩崎先生でしょうかね(笑)。

五十嵐さんはもしかして、2007年の【阿賀野川サミット】※には行かれましたか?
はい、私それ行きました。
最後、アンコールで歌ったのを覚えています!


――おそらく、岩崎先生が【阿賀野川サミット】の指導のために、中学校へ訪れたんだと思います(笑)。

では20年間続いていることについてはいかがですか?
やっぱりこれからも歌い継いでほしいです。
私たちの年齢と、「阿賀野川」の年齢は一緒なので…。
そういった意味でも、続いてほしいなぁと思っています。


――思い入れの強い曲はどれですか?

「悲歌」ですね。
私は、ロック調にアレンジされた「悲歌」の方も先ほど聴かせていただきました。
人それぞれ、詩の捉え方も違うし、歌ってる人数もCDでは2人のボーカルなので。
表現の仕方が違っていましたね。
例えば、合唱で私たちが力強く歌ってたところも、CDではサラッと歌ってたり…。
なので、まるで違う曲のような感じがしましたね。


――ROCK「阿賀野川」にはどのようなことを期待しますか?

阿賀町だけじゃなくて、もうちょっと認知度が広まってくれればいいなって思います。
それは、高校生の時から思ってることなんです。
高校に進学してできた友人に「阿賀野川」のことを言っても、ほとんどの人が知りませんでした。
ちょっと寂しかったですね。
なので、ロックの「阿賀野川」をきっかけに、合唱を聴いてもらえる機会が増えればいいですね。





五十嵐 成美
1991年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町(旧三川村)出身
平成18年度三川中学校卒業生
パート:ソプラノ
大学3年生
中学から始めたバレーボールに現在も打ち込んでいる