2011年12月4日日曜日

「K.S インタビュー」

合唱組曲「阿賀野川」は、平成3年の初演発表会から三川中学校の生徒らによって、長きに渡り歌い継がれてきた。
それはまさに「先輩から後輩へ」と、20年分の伝統を積み重ねてきた、いわば歴史そのもの、財産である。
ともに学び、ともに歌い、お互いの成長を競い合って中学校生活3年間を過ごした彼らの共通言語は、今でも「阿賀野川」なのだ。
平成3年度から現在に至るまで、卒業生のインタビューをシリーズで掲載する。




――まず、「阿賀野川」との出会いを教えてください。

一番最初は、正直何が何だかわからないまま始まったという印象ですね。
音楽の授業の時に、先生が“はい、これを歌ってください”という感じで…。
私達も“あぁ、これを歌うのかぁ”って(笑)。
もう当然の流れのような始まり方でした。


――授業のことは覚えてますか?

「音楽の授業」というよりは、「合唱」っていう感じでした。
2年生の時にパート分けがあったと思います。
ピアノを弾く先生の横に一人ずつ呼ばれるんですよ。
それで、曲の一部分だけを歌ったら、先生が“はい、ソプラノ―”とか“はい、アルトー”とか決めていく(笑)
一人ずつ歌わせられるのが緊張してイヤでした。
そして先生は厳しかったですね。
歌い方や、声の出し方、表現の仕方など、すごい細かく指導を受けました。
私達が一番最初に歌う生徒だったということで、基礎からとことん鍛えられたというふうに覚えてますね~。


――「阿賀野川」を歌ってきた中での思い出は何ですか?

やっぱり、合宿です。
2年生の夏休み中に、3年生と合同で。
みかわ会館に岩河三郎先生もいらっしゃって、一泊二日の合唱合宿。
もう、ずぅーーーーっと、合唱の練習をしてた記憶があります。
朝からずっと歌って、お昼ご飯食べてからまた歌って…(笑)。
夕飯食べた後もまた歌って…。


――想像すると、ゾッとしますね(笑)岩河先生の指導はいかがでした?

あぁ、すごい怒られました。


――えっ、怒られた?どうしてですか?

居眠りして(笑)。
だいたいみんなが。
ご飯食べた後、みんなこうウトウトしてて…。
それで岩河先生が怒って、“中止ー!”とかになっちゃって(笑)。


――今だから笑えますが、それは大変なことですよ!でもK.Sさんは居眠りしてなかったんですよね?

ううん、寝た(爆笑)。


――つ…、次の質問です(笑)。20年間歌われ続けてきたことについて、どのように感じますか?

そうですね~。
やっぱり一番最初に歌った私達にしてみれば、嬉しいことですね。
でも中学校を卒業してからは、なかなか聴きに行く機会がありませんでした。
去年、うちの子供の文化祭で三川小中学校へ行った時、午後から中学生による発表会があって。
そこで、ほんっとに久しぶりに聴きました。
うちの子、まだ小学1年生なんですけど、いずれ「阿賀野川」を歌うことになるじゃないですか。
“この曲、一番最初に歌ったのってお母さん達なんだよぉ”ってちょっと自慢しました(笑)。


――親子二代で歌うのが楽しみですね。それでは、あなたにとって阿賀野川とは何ですか。

何でしょうね~。
ごく当たり前にそこにあるもの、風景の一部ですかねぇ。
それは、何も感じないってことではないんですよ。
私は阿賀町から出たことがないから、阿賀町の魅力とかも案外自分では気付いてないのかもしれません。
でも、そこに山があって、川があって…。
みんな人がいいし、自然がいっぱいあることはいいですね。
親になって気付くこともありますね。
子供達が毎日伸び伸びと暮らせるのは、いいなぁって思います。



K.S
1977年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町(旧三川村)出身
平成4年度三川中学校卒業生
パート:ソプラノ
現在二児の母として子育てに奮闘中