中学校での厳しい音楽の授業がなかったら?
“今でも自分は音楽に関わっていなかったかも”とまで明言してくれた彼の言葉は、とてもストレートに「阿賀野川」の在り方の本質を捉えていた。
平成7年度三川中学校卒業生、現在東京でインディーズレーベルを運営する中、今回の合唱×ROCKのカタチはどのように写るのか。
音楽っていう、音を楽しむ感覚は中学時代に理解できていた。
――中学時代に阿賀野川を歌っていた当時のことなどを教えてください。
私が中学校に入学した時には、すでに合唱組曲「阿賀野川」っていうのが音楽の授業で確立していました。
入学して一番最初の音楽の授業から楽譜を渡されましてね。
楽譜がまたね、丸めてチャンバラするのにちょうどいいサイズなんですよ(笑)。
所詮、中学校1年生ですよ。
歌い継ぐとか、合唱組曲とかっていう感覚は本当に最初薄かった。
だって、いわばちょっとグレてる年頃ですよね?
――はは…(笑)。それがどんどんと引き込まれていくという?
そうですね。
チャンバラこそしたが、楽譜にラクガキなんてする奴は一人もいなかった。
それこそ、メモがぎっしりでね。
何回も何回もメモを書かされるんですが、1年生の時に書いた字が汚いんですよ。
だから3年生になって、“もういいや”って消すんですよ。
でも消した矢先にまた同じこと言われてまた書く、何度も何度も(笑)。
――3年間、繰り返しなんですね(笑)。
そう、当時は音楽の先生の指導が何よりも厳しかったんじゃないかなぁ。
1年生の頃の声変わりの時期にはそれが本当にきつくてね。
歌えなきゃ(音がとれなければ)、すぐ隣の被服室でパート練習!
音楽室から追い出されるのですから。
――指導が厳しくても負けずと取り組んで行く生徒ではあった?
やっぱり当時の環境もあるのだろうけど、この壮大な内容と構成に子供ながらに何か感じ取っているんですね。
だから“やってやるぞ!”って。
私たちの学年はレコーディング(収録)もあったので情熱があったと思う。
だから、楽しくもあった。
科目の中で、ガクが「楽」なのは音楽だけでしょ。
指導してくれた先生とぶつかった時も何度もあったけど、それも今となればいい思い出。
音楽っていう、音を楽しむ感覚は中学時代に理解できていたんですよね。
音楽には厳しさがなきゃダメ、芸術じゃなきゃダメだって。
そうじゃなきゃ本当の楽しさなんてないって。
それは今の仕事や私生活にも大きく影響しているんじゃないかな。
――レコーディングと言いますと?
はい、中学校で「阿賀野川」5周年記念のCDを制作したんです。
自慢ですよ(笑)。
今でも自信持って歌えます。
だってあれだけの授業をやるのですもの。
卒業生で歌えない人なんていないんじゃないかなぁ。
ただ、「歌い継ぐ」っていう感覚や大切さっていうのは、正直当時から掴めなかったんです。
それは私が子供だったからじゃないと思うようになってね。
中学校を卒業してから「阿賀野川」っていうものの存在が、耳に届かなくなってしまった。
寂しいですが、どこか遠いものになってしまってね。
――それは具体的には?
東京に住むようになってからなおさら、“まだ中学生は歌っているのかなぁ”って感じですよ。
今となっては、思い出だけになってしまったモノのひとつ。
だから一卒業生としては、三川村から遠く離れていても、どこかで合唱組曲「阿賀野川」の活動や存在を耳にしたい。
中学生だけじゃなくてもっとこう、町全体で大合唱する機会があってもいい。
「歌い継ぐ」っていうカタチで、こんなに素晴らしいモノはないですもんね。
だから全国的にも広がればもっといい。
色々な事情はあると思うけど、当時(自分たちが在学している時)より大きくなって、いろんな人の耳に届くことを卒業生たちはきっと望んでいるんですよ。
そこは厳しい練習を乗り越えて、歌っていた人間だからはっきりと言えるんじゃないかな。
――その合唱組曲「阿賀野川」の魅力とは何でしょうか?
一言でいえば、「歌い継ぐ」ことなのではないでしょうか。
阿賀野川のことなんて知らなくてもいい。
上流がどこだとか、水域がどのくらいだとか、そんな歌じゃなくてね。
その阿賀野川が流れる地域に住む人々が、昭和の大水害(羽越大災害)を乗り越えてたくましく生きる姿。
子供の頃から親しんだ綺麗な風景をね、芸術を通して「歌い継ぐ」。
情報だらけの現代の世の中に対して、あえて音楽というもので、その土地の風景や力強さが歌い語られ、人に伝わればこんな素晴らしいことはない。
――なるほど。では今回の合唱×ROCKプロジェクトについてはいかがですか?
20周年なんですね…、最初聞いたときは驚きました。
当時から20年間歌い継がれてきている中で、それがカタチを変えて、今CD化されることには大賛成です。
だからこそ今回制作する皆さんには、20年前の当初から関わってきている人や、当時制作された方に対してもそうですが、その作品「阿賀野川」に大きな責任感を持って欲しい。
合唱って枠を外して、表現することもひとつの大きな試みだと思います。
合唱で歌っていた人や知っている人は是非聴いて欲しい。
逆に今回のこのCDを手にした人はぜひ、合唱も体感して欲しい。
聴いた時、思わず口ずさんでしまう人が何人いるか、想像するだけでも少し楽しい気持ちになりますね。
皆川 和
1981年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町(旧三川村)出身
平成7年度三川中学校卒業生
現在東京都在住
インディーズレーベルDEATH BLOW MUSIC/WHYTE NOISE FACTORY オーナー兼プロデューサー