2012年4月16日月曜日

「五十嵐 汐里 インタビュー」

合唱組曲「阿賀野川」は、平成3年の初演発表会から三川中学校の生徒らによって、長きに渡り歌い継がれてきた。
それはまさに「先輩から後輩へ」と、20年分の伝統を積み重ねてきた、いわば歴史そのもの、財産である。
ともに学び、ともに歌い、お互いの成長を競い合って中学校生活3年間を過ごした彼らの共通言語は、今でも「阿賀野川」なのだ。
平成3年度から現在に至るまで、卒業生のインタビューをシリーズで掲載する。




――最初に「阿賀野川」聴いた時の印象なんて覚えてますか?

自分が初めて聴いたのは、確か中学校入ってからですね。
最初の授業の時にカセットテープか何かで聴いて。
すっごい迫力でした!
声も綺麗だし、鳥肌が立つほどでした。
それが代々中学校でずーっと歌われてきているもので…。
なので、いざ自分が歌うってなった時に、「こんな大事なものを歌う」というプレッシャーって言うんですか。
“中途半端な気持ちでできるものではないな”と。
責任感…とはちょっと違うかもしれないけど、そういうのはありました。
“真面目にやらなきゃ”って(笑)。


――真面目に取り組んでいらしたんですね。
発表会ではピアノ伴奏もされたとかで。

「阿賀野川」の楽譜をもらった時に、“家で歌の練習をするにも伴奏は自分で弾けたらいいかな~”という軽い気持ちで。
特に小さいころから習ってた、というわけじゃないんですけど。
ところが、発表会の時に弾ける人が同学年でいなかったので、“じゃあ、やってみようか”と(笑)。
2年生の「歌いつぐ会」の時に第二曲「ふるさとの将軍杉」の伴奏をして。
3年生の時は、第二曲と第三曲「羽越大災害」、第四曲「悲歌」も弾きましたね。


――練習や発表会での思い出はありますか?

真面目に歌わなきゃ、先輩に負けないくらい上手に歌わなきゃっていう想いが強かったので、みんなもう必死でしたね~。
私は伴奏もあったので大変でした。
特に第四曲は大切に演奏したくて、すごい一生懸命練習をしました。
本番では、みんなの心が一つにまとまって演奏できたと思うので、とてもいい思い出です。



――「阿賀野川」は羽越水害がテーマとなっていますが、昨年7月の水害はいかがでしたか?

7月の新潟・福島豪雨で、私の住んでる吉津地区は大きな被害を受けました。
私はその日たまたま仕事で、家には帰れませんでした。
署にいると、いろんな地区からも被害の情報が入ってきて…。
孤立しちゃった家もあったし、夜中になってもずっと救助要請ばかりだったんですよ。
…で、なんとか落ち着いたのが次の日の夕方になってからですかね。
やっと家に帰ることができました。


――まる一日半ですね。しかし消防というお仕事…。自宅も心配でしたでしょうね。

仕事中、家族から“(浸水して)家、もうダメみたい”って連絡が来てたんですけど、
“家には家族がいるから大丈夫。私は仕事をしなきゃ”と思って。
でも帰って実際自宅が水に浸かっている状態を見たら、“これはただ事じゃないな”と感じました。
私、昨年の夏、石巻市と南相馬市へボランティアに行ったんですよ。
まさにその時の光景が浮かんできました。


――新潟・福島豪雨で被災した地域には、「阿賀野川」のテーマが心に響きますね。

そうですね。
「阿賀野川」という組曲を、もっと広い地域に広めたいです。
“昔三川村では、こういう出来事があったんだよ”っていうのを、もっとみんなに知ってもらいたいと思います。
自分が学生だった頃は、中学時代に歌った「阿賀野川」のことを友達に話しても、あまり興味を持ってもらえなかったんですけど。
昨年の水害を経験したことは、まだ記憶にも新しいので…。
羽越水害と重ね合わせて伝えるきっかけになればいいかなって思います。
それに「阿賀野川」は阿賀町…と言っても、旧三川村でしかほとんど知られていないですよね。
鹿瀬、上川、津川の人にも知ってもらいたいです。


――三川中学校卒業生を中心に「阿賀野川」をロックにして伝えたいというプロジェクトについてはいかがですか?

宜しくお願いします(笑)。
その活動を最初聞いた時に、私がさっき言ったような想いと重なる部分が多々あるので、頑張ってほしいです。
いっぱい広めていただきたいです。
「合唱」というカタチでアピールすると、若い人たちには難しいかな、とか硬いなというイメージがあると思います。
「ロック」としてだったら気軽に受け入れてもらえるかもしれないですね。
また、地元三川から出ていった人たちにも“ああ、懐かしいな”とか“またちょっと歌いたいな”とか思ってもらえたらいいですね。


――では最後に、五十嵐さんにとって阿賀野川とは何でしょう?

「生活の一部」みたいなものですかね。
おじいちゃんの話だと、昔は道がなかったから、川を舟で渡って学校へ行ってたと聞きました。
水害のこともそうですけど、私たちが成長していく中で常に関わってきたものですよね。
だから阿賀野川も私たちの生活の一部のように感じてます。



五十嵐 汐里
1990年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町(旧三川村)出身
平成17年度三川中学校卒業生
パート:ソプラノ、ピアノ伴奏
阿賀町消防本部阿賀町消防署 所属